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イベント告知です。
2012年2月1日(水) 女川町 清水仮設集会所にて 12:30から17:00まで(好きな時間にどうぞ) 対象:40才前後から。おひとり30分程度です ※メイクレッスン、写真撮影はすべて無料です プロのメイク講師からマンツーマンでメイクのコツを学ぶ会です。手元にある化粧道具で、自分でもできるようになります。自分らしさを活かしたメイクを学び、素敵な写真を残しませんか? ![]() 予約は不要です。お友達同士で気軽にお越し下さい。またメイクをするので、すっぴんで来てくださいね。特に、お母さん世代(60〜70代)に来てもらいたいと思っております。キレイになって「まだまだ私、イケるわっ!」と思ってもらいたいし、その笑顔が見たいです。 このブログを見ている方、女川にお母さんが暮らしている方。ぜひイベントを教えてさしあげてください。「写真館のまゆみがやってるんだって〜」と気軽にお誘いくださいね。また清水にお住まいじゃなくても、どんどん来てください(当日アポなしでOKですよ〜)。所用時間は30分程度です。 私の好きな場所からの撮影。震災後ずっと撮っている。
1月24日(火)の女川湾。この日はクリームがかったエメラルド色の海だった。光の反射で海はいろんな色に輝く。とてもきれい。祖父母を拝む時はお墓へ行くが、両親を拝む時はこの場所から海に向かって手を合わせている。 海は両親たちの命を奪っていったことには変わりないが、恨み続けていては何も始まらない。両親や仲間が眠る海だから、いつも輝いているのだと思うことにしている。この湾を見ながら、いつもそんなことを考えたりしている。 正月には残っていた、我が家の茶色いレンガの門はきれいさっぱり取り壊しされてしまった。そしてちょっとだけ盛土工事をしていた。いよいよ5mのかさ上げ工事の準備に入ったようだ。 ![]() 1月23日(月)、ある二人のお友達を連れて女川へ帰った。
前のブログにも書いた通り、「故郷を見て欲しい」という想いからだ。 せっかく行くなら、女川らしい部分を見てもらい、女川の人々と会話をして、今の女川を感じてもらいたいと私は考え、3つの場所を訪れることに決めた。 1つは、12月に訪れた指ヶ浜(さしがはま)。ここは女川町内でも一番北に位置し、ホヤなどの養殖が盛んな地域である。小さな浜があり部落の全部の家が消滅した地域である。それでも漁民は立ち上がりようやく養殖を再開した。 ![]() 40世帯ある仮設住宅に8畳ほどの集会所がある。小さなスペースではあるが、野口健さんのトーク&藤巻亮太さんの歌を聞いていただいた。漁師さん達は朝から海に出ていたが、この時間は休憩して集まってくれたのだった。こうした浜の人たちの暖かい歓迎が嬉しかった。健さんのヒマラヤでの過酷な経験話は、海の男達にも通じるところがあった。漁師さんたちの熱い眼差しは、私達を勇気づけてくれた。 最後に外で集合写真を撮ろうと思ったら、藤巻さんが「気持ちいいなぁ」と、いきなりギターを演奏し歌い出した。三陸の海のように澄んでいている歌声は、この浜で亡くなった方々の魂にも届いたであろう。ホヤが大きく育つ頃、またみんなで訪れたい。 2つめは小学校を訪れた。 私が卒業アルバムを作っている、女川一小の6年生を対象に授業をさせていただいた。45分という短い時間の中で、健さんは6年生がわかる言葉で、6年生が興味を引きそうな話題から話を始めた。ヒマラヤで体験した生と死について、健さんの言葉は痛いほど心の真ん中にずとーんと入ってきた。子供達の表情を見ていても、それが手に取るようにわかった。健さんの話だと、「これはオブラートに包むよりも、ちゃんと生と死について真実を伝えた方がいいんじゃないかな…」と授業の途中で感じたという。生きることの意味を語ってくれた。 最後の5分、健さんからの強いメッセージが伝えられた。「自分の目で見るということは、知るということ」ーー12歳が考えるには素晴らしいテーマだと思う。4月からずっと彼らを見てきているが、この授業の後で、彼らはとても大人に見えた。 ![]() 3つめは、清水地区にある仮設集会所を訪れた。 ここは清水仮設住宅(144世帯)と新田仮設住宅(92世帯)と、近隣に残った家に住む世帯がいくつかある。この仮設にたどり着くには、5mほどに積み上げられた瓦礫の山脈を通過しなくてはならない。震災から10ヶ月経ってもこの景色を眺め続け生活をしている。 健さんの話はここでもじーんと胸に響いた。やっぱり死に直面した経験と仲間を失ったエピソードは何度聞いても心を打たれる。女川の方々の心にも響いたと思う。そしてうるっと感動したときに、藤巻さんが歌うのだ。これには泣ける。そして元気が出る。新曲「光をあつめて」は、とても素晴らしい歌だった。この二人なければ出来ないイベントをしてくれた。 ![]() 人は辛さの中でも、小さな喜びを見つけ生きていかなければならない。時には背中を押してもらいたい時もあるだろうし、ちょっと寄りかかりたいときもある。心を解放させて笑いたい時もあるだろう。健さんと藤巻さんという最強ダッグが、そういう手助けをしてくれた。ありがとう。 そしてこの企画を支えてくれたスタップのみなさん、現地コーディネートしてくれた女川の友「Real eyE」のご夫婦にはとても感謝している。ありがとう。 震災以降、時間が経つにつれ支援の仕方は変わってきている。今回私たちは「与える」という一方通行な支援ではなく、「人々と交流する」という方向性を選んだ。こうした活動を通して、私達自身が女川の人々から学ぶことはとても大きい。そして私ひとりで女川に帰る時とは違った、別の角度から感じることもできた。一緒に行ってくれた健さん、藤巻さん、ありがとう。 早朝からレタッチ作業をしています。今度の写真集に入れるもの。父の残した作品で津波から出てきた船大工の肖像であるが、なにせ見つかった9点はラフプリントなので焼き込みなども不十分。津波痕は残すにしても、フォオトショップでどこまでいじるかが悩むところ。もう少しオリジナルプリントに近づけたいというのが本音。
師匠に相談したら「完成品のオリジナルプリントは親父と作業したお前が記憶しているはず。耳をすませながらレタッチしていれば、自然と親父の声が聞こえて来るだろう」とのアドバイスだった。 「もし父だったら…」と考えると余計にわからなくなる。そして「おめーにまがせっから」としか言わない父の声が聞こえて来る。 そして悩む。今のところ、四隅の周辺のみを焼き込み、津波痕は残す方針……でいいよね、父さん。 ![]() 写真集用のセレクト中。震災後から正月までの10ヶ月を入れることにした。その数60枚。報道とは違った女川の姿を見せたいと思う。
写真展の場合、震災モノは見たい人と見たくない人に分かれる。私も見たくない人側だ。瓦礫ばかりの写真はやっぱり見たくないという意見が多い。だけど、私の写真展は瓦礫等の景色ではなく人物がメインだと分かると、見たいと言ってくれる方が増える。それは見る側の「被災地で暮らす人々の様子を知りたい」という純粋な気持ちなのだと思う。そして写真展に来た方が「女川の人の笑顔がいいわね。私も元気になれたわ」と言ってくださる。その言葉は私を勇気づけてくれる。 ![]() 今回の本は、震災から正月までの10ヶ月間撮影した町の様子(瓦礫の景色も多い)と6〜7月に撮影したポートレートとエッセイで構成している。瓦礫の写真は見たくない人も多いと思うが、女川の記憶として残したいのでそれも含めることにした。どのように組み合わせれば良いのか順番等で悩む。写真集はめくっていくものだから、その順番は重要だ。瓦礫の写真が続くので見る側にとって(とくに被災者にとって)苦しさを和らげたいと思ったりもする。とにかく悩む。悩みまくって良い本を作りたい。 昨日は都内某所で女川会を開催した。集まる人の世代も職業もいろいろ。昨日は6時間耐久飲み会(笑)思い思いに女川弁で喋りまくり、みなさんで楽しい時間を共有しました。
メンバーは首都圏に住む女川出身者がツイッターを通して知り合った。告知もツイッター上である。要するにオフ会のような感じである。いつもツイッターで女川について語り合い、不定期ではあるが「一緒に酒でも飲んで語り合いましょう」という流れである。 そもそも女川会の目的は、津波で実家が無くなったり家族が亡くなったりした悲しみをシェアすることである。職場や近所では津波のことは話づらいし、その辺はやはり同郷じゃないと話せない悩みなどもある。ぶっちゃけトークをすることによって、震災ストレスから解放される場合もある。女川の思い出話を語ったり、方言遊びをしたり、自分が知らないことを先輩に教えていただいたりする。昨日で4回目になるが、新しいメンバーも増え、総勢20名集まり有意義な会になった。そして会では乾杯はせず「献杯」をしている。辛いことも楽しいことも、同郷の人たちとこうしてシェアできるのは、震災があったおかげである。 ![]() 次回の予定はまだ未定であるが(いつも思いつきで、不定期で開催される)、ツイッターで告知します。このブログを読んで「私も参加したい!」という女川出身の方がいらっしゃったら、遠慮なくご連絡をください。 3月11日には本を出す予定で、年末はその原稿をずっと書いていた。写真集とエッセイという形の本になるが、文章を書くという作業は難しい。さすがに「作家」という職業があるくらいだと実感した。最も大変(というかイヤ)だった作業は「震災当時を思い出すこと」である。まだ1年も経っていないが、遠い別世界に迷い込んだようで、書くのも辛かったし、写真のセレクトをするのも手間取り、「よくこんな状況を人々は生き抜いたんだなぁ〜」と改めて思った。
この前も女川へ帰ったが、この10ヶ月の変化の仕方は大きい。瓦礫撤去だけが急いで実行され、心は置いてきぼりにされたような気がした。あれほどの惨事から立ち直るためには、見えない部分に気を配っていかなくてはならないのだと思う。 「ぜひ被災地に足を運んでほしい」とこのブログに書いたが、ツイッターで多くの方に支持していただいた。1つ書き忘れたのだが、被災地で見て感じるという以前に「手を合わせて欲しい」ということを強調すべきだった。私の中では「亡くなった方々に手を合わせる」ということが当たり前になっていたので、文章の中でついつい省いてしまったし、一般常識のある方ならそうするだろうと思い、安心して書かなかった部分はある。その件に関しては誰も責めたりはしなかったが、中には「被災地に観光気分で来て欲しくない」という現地の意見もあり、そういった気持ちを忘れないで欲しいと思った。 ![]() 私の友人・野口健さんが女川へ足を運んでくれた。その感想が彼のブログに書いてあった。他者が自分の家を撮影しているのって不思議な感じがする。山登りが好きだった父も、イケメンが好きな母もきっと友人の訪問を歓迎してくれたに違いない。 家が壊されてから、私はあまり家の前へ行っていない。行ってもしょうがないというか、何もないから行きたくないのである。8月に解体されたのだが、中途半端に門が残っていて、「あ、ここが写真館だったのだな」とかろうじて分かる雰囲気になってしまった(健さんのブログを見れば写真が載っているので、上の写真と比較してほしい)。暗室が残っていた頃は両親がまだそこにいるような気がしていたけど、更地になった後は、両親の気配を感じるどころか、やっぱり家で死んでしまったのだろうか…と考え込んでしまうこともある。やはり震災の爪痕は、見えない部分で深い。 今週末は全国各地で成人式(写真館関係のみなさまお疲れさまでした!)だった。各地のニュースを見ると、久しぶりの再会を喜んだり、笑顔での成人式の様子が報じられていた。
自分の20歳の頃を思い出している。その年の成人式は大雪で、東京でも雪が降った。最初から女川の成人式に出席するつもりもなく、雪が降って内心ホッとした。行かない理由が明確だもの(笑) 実は、母親が張り切って数百万円する着物を用意しそうなのがイヤで(姉の時はそうだった。そんなお金があるなら憧れのハッセルを買ってもらいたかった)、それを阻止しようと、成人式に出ない事に決めたのだ。今思えば、バカな子供だった。 昔から団体行動が苦手で、故郷への愛着もそんなになかったので、自分としては、成人式に行く/行かない事は別にどーでもよかった。同級生と会ってみたいなぁと思ったけど、20歳の節目とか、そういう行事を他人と誓ったり祝ったりということも面倒だなぁとも思った。いつもと同じように暗室でプリントをしながらその日を過ごしていた。そしてお酒を少しだけ飲んだ。他人と交わらない自分がカッコイイと、そう思っていた。そんな20歳。 ![]() それが、14年経って故郷に毎月通っているから、人間は変わるのである。 20代半ば、海外で暮らすようになってから、故郷が愛おしく感じるようになった。そしていつか故郷に帰って、故郷の役に立つことをしたいと思うようになったけど、それは具体的に何をしてよいのか分からなかった。 震災が私をぐっと後押しした。故郷の人たちとたくさん会話をし、自分を育ててくれた故郷に恩返しがしたいと思うようになった。それはやっと私自身が「大人になった」と言えるだろう。 新成人がたくさん集まった女川の成人式をニュースで見て嬉しくなった。この20歳たちが同じように故郷のことを愛してくれたらいいなぁと思う。参加しなかった20歳にももっともっと故郷を想ってもらいたいと思う。 twitterやFacebookでは既に告知しておりますが2012年3月以降のスケジュールです。
ホームページ上のニュース欄に更新しました。 詳細が決まり次第、ブログ等でも発表していきます。よろしくお願い致します。 http://www.monchicamera.com/news/ ツイッターの効果は素晴らしく、全国の沢山の方々と知り合いになれた。そして女川について、少しでも興味を持ってもらい、女川を訪れてみたいと思っていただけるようだ。その中には「佐々木写真館を探して行ってきました」と言う方も少なくない。8/13の解体された日まで、訪れてくれた人も多く、とてもありがたいと思う。遠く女川のことを想い、パソコン上でも手を合わせてくださる方もいる。なんとも幸せなことだろう。
「被災地に行ってみようと考えている」という方は多い。 私は「ぜひ来てください」と言いたい。それは野次馬見学とは違う。 ![]() あなたの目で見て、あなたの心で感じて欲しい。 ボランティアで行かなくていいから、ぜひ旅をしてほしい。 満足の行く旅を提供できないかもしれないけど、美しいコバルトブルーの海や女川の料理を堪能して欲しい。 女川は無くなったわけではない。人々の営みはずっと続いている。 そしてより良い町にして行こうと町民は未来を見つめている。 そこで生きている人たちと会話してほしい。 旅とはそういうもの。 ただ、この震災のことを「忘れないために」伝えてほしいと思っている。
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