女川に帰省します

明日3/27(日)、姉のいる仙台へ。
翌日3/28(月)、姉と義兄と一緒に女川へ。

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「女川へ行ってくる」のではなく「女川へ帰省します」。
だって、私の故郷だもん。実家がなくなっても、ふるさとには変わりない。
両親がいなくても、私を育ててくれた町の人たちはたくさんいる。
その人たちを励ましたいし、「生きててくれてありがとう」という気持ちを伝えたい。


昔、うちのご近所さんだったお姉さん(現在は仙台へ嫁いだ)からの電話。
「新聞やTVで見るより町の壊れ方がすごすぎて、涙しかでてこないよ。しっかり覚悟して行っておいで。」と言われた。

覚悟ってどういうモノなんだろう?
わかるようで、わからない。

故郷はそんなにも私に冷たいのか、昔のように温かくはないのか。
裏切られたような気持ちになるのか。女川がどれだけ崩壊して、実家もどうなっているのか写真で何度も見たが、「この目で見る」というのは、そんなにも違うのだろうか。

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両親のことについては、とっくに覚悟はしている。
10日前に姉が色々な人に会って、地震発生当時の両親の様子を聞いてきた。
助かっている可能性は極めて低いこともその時知った。

それを人にどう伝えて良いか迷ったし、自分でもその事実を認めるのは嫌だった。私と違って、生きているのに電話連絡がとれないだけの人も大勢いるから、そういう人たちの希望を失わせたくなかった。だからブログには書けなかった。

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最初の日、たくさん泣いて、旦那とたくさん話し合った。
仕事を放り出してただ泣いてばかりいる私たちを両親は喜ぶだろうか?
働ける元気な体があるのに何もしない私たちを両親はがっかりするのではないか?
「親は先に死ぬんだから、しっかりと自立しろ」と言っていた両親の言葉を思い出す。
冷たい海に消えていったことを悔やむより、ちゃんと天国に行けるように祈った方がいいのではないか?

色々と考えて行く中で、「写真で一生食べて行く」という強い決意ができた。
自分の中で整理が出来て、少しだけ楽になれた。

諦める勇気というものも、時には必要なのだと知った。
どうせなら、こういう強い私をしっかりと両親に見てもらって早く安心させたい。
素晴らしい結婚式も見せてあげられたし、無事にお嫁に行けた事だって喜んでいるはずだもの。

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津波から2週間が経つ。
今度は、体を探すという大仕事が待っている。
正直、こちらの方がつらい。
by monchicamera | 2011-03-26 19:13
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