北茨城への視察 〜津波と放射能を乗り越えて

さて、帰国して2週間以上経つので、そろそろ国内の話へ戻します。
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もう一ヶ月以上前のことでしたが、11/8(火)に北茨城市を訪れました。Hug Japan主催の『被災地視察サイトビジティングツアー 〜震災後のリデザインを考える』と題されたツアー。茨城県で津波被害のあった場所です。新聞やテレビでも報道されることが少ないので、知らない方も多いと思います。北茨城市は4月にも訪れていますが、漁港は已然としてそのままでした。福島原発の影響があり、12月末まで漁が禁止されております。原発から80km離れた大津漁港。(世界的な基準で)本来ならば避難すべき区域であるのに、住民は避難せずこの土地で暮らしを続けながら、漁業だけがダメになっている地域なのです。1月以降漁が再開されるかどうか、それは放射能の数値次第ですが、その次には風評被害が待っているでしょう。いずれにせよ辛い現実が突き刺さります。

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漁ができないから港の整備も後回しにされています。県も国も予算を出してくれないんです。この地域は地震の揺れもひどかったため、地震で岸壁が写真のように割れて陥没してしまいました。8ヶ月経った今もそのままです。沖にでると、防波堤も灯台もぐにゃっと曲がり沈んだままでした。実際に目にすると愕然とします。津波で6名の方が犠牲になりました。まだ1名が行方不明のままです。

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今回のツアーは、アメリカ スリーマイル島の原発事故の専門家2名(アントニー・バラッタ氏、バーバラ・グレイ氏)、と、ユニバーサルデザインを手がけるバット・ムーア氏と一緒に回りました。ツーの後半にはパネルでディスカッションも儲けられ、たくさんのお話を聞く事ができました。

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前者にははスリーマイルの事故後、「住民達とどのように連携をとり、不安を解消し生活を維持して来たのか」を伺いました。テレビ報道も少なくネットもない時代。住民の情報源は地元新聞とラジオがメインでした。事故はそれほど大きなものではありませんでしたが、住民の不安はなかなか収まらず、彼らは大学教授陣としていくつかの提案をしました。「住民達自らがガイガーカウンターを持って地点ごとに測定する」「測定結果を新聞とラジオで公表する」などです。また、事故後の処理について原発側の方針が打ち出されたところ、住民は専門用語がわかりませんから、彼らのような大学の専門家たちが「どの方法が一番リスクなが低いのか、それによって起こるメリット/デメリット」について住民達がわかるように勉強会を開くなどして、結果的に了承を得るようにしました。住民達がどのように原発と共に暮らしていくのかを選択したわけです。

素人の私が説明するのは難しいのですが、要するに、住民の「漠然とした不安」をきちんとした説明によって「健全な不安」に変えていったのです。今の日本における最大の問題は、政府の言う事は信頼できない、漠然とした不安に脅かされているいうことではないでしょうか。確かに今回の事故は例を見ないほど残酷な結果です。福島原発のこと、そして福島沿岸部の人々が町を捨てなければいけなかったことを思うと、とても胸が苦しくなります。マスコミの連日の報道もどこまで信じて良いのかわからなくなり、ネットで得る情報は多すぎて、しかも素人にはやはりピンと来ないものばかり。スリーマイル島の専門家たちの意見は今後のヒントになるでしょう。
by monchicamera | 2011-12-02 20:16 | 311とその後
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