大ホールでの思い出

女川生涯教育センターが取り壊し作業の真っ最中だ。病院側からみると気がつかないのだが、女川駅の線路側から見るとどんどん壊されていっているのが分かる。このセンターの屋根まで津波が到達し、5階にあるボイラー室では腰まで水に浸かったという。それでも建物がくっきりと残っていたのだから、構造にしてはずいぶん立派だったのだろう。
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生涯センターが出来たのは、私が幼稚園の頃。1980年始めあたりだったかな。遠足で三十三観音を回ったり、センターまで足をのばし、正面玄関で写真を撮った(1982年女川幼稚園年長組のみんなと)
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センターには800席を誇る大ホールがあり、そして町のイベントやコンサートが催される度に通った。小2ではチェッカーズの映画を観に3度も来たのを思い出した。津波から11ヶ月ののち、こうして取り壊され、大ホールの客席が見えると、なんだか虚しく感じる。
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中学の合唱祭では音響がいいからと学校の体育館ではなく、このホールを使わせていただいた。クラスの皆と共に過ごした時間を鮮明に思い出す。取り壊された部分には思い出のステージがあり、もちろんバックステージもあった。「三年三組、自由曲『道』銀賞」とのアナウンスに、あと一歩で金賞が取れなくてクラス全員で泣いた中三の秋。あの座席にクラスごとに並んで座り、みんなで泣いた。選んだ合唱曲が難しかったからだとか、練習が足りなかったからだとか、文句をいうクラスメイトもいたが、担任の藤沼先生だけは今まで聞いたうちで一番上手だったと褒めてくれた。そんな思い出も詰まったホールだった。

当時の女川一中では「三大祭り」といって、9月に体育祭、10月に合唱祭、11月に文化祭という流れで、私達は勉強の合間を縫って祭りの準備や練習をしたのである。運動と文化行事が続くので、どんな生徒でも1つは得意分野を活かす事ができ、そしてクラスの役に立つ事ができた。仲間と協力し合い、時には本気でぶつかり、団結する素晴らしさをここで学んだ。今思うと、社会人になるために必要な基礎をこの中学時代に学んだのだ。良い時代だったと思う。
by monchicamera | 2012-02-08 20:51 | 311とその後
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