一周忌

 あの日から1年が経つ3月11日はどのように過ごしたらよいか、本を書き上げた辺り(つまり年末)から考えていた。写真館跡地で過ごそうというのは頭に描いていたが、具体的にどうするか悩んでいた。一周忌と言っても実感がない。遺体が見つかったわけでもないし、本当に死んでしまったのだろうかと疑問に思うこともある。ただ1つ分かっている事は「冷たい海で亡くなった」ということだけだ。
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一週間程前、姉に電話をした。
 「3月11日、例の時間はどこで過ごす?」
 「自宅前がいいじゃない?亡くなった場所だし」
 「そうだよね、それがいいね」
 「暖かいものを供えようと思うんだ」
 「じゃぁ、お母さんみたいにサイフォンで珈琲を煎れようか」
 「それはイイね。昔みたいにダイニングテーブルを囲んでさ…」

ということで、私たち姉妹は3月11日の14時46分の過ごし方をこのように決めた。死者を弔うのはもちろんだが、残された家族が一緒に過ごし、心を1つにするということも大事だと思っていた。そういう意味でも自宅跡で、サイフォンで珈琲を煎れて両親に捧げるという儀式はベストな方法だと私たちは考えた。


 午前中は照源寺での合同法要に参加した。本堂に入りきれない程の人が集まり、手を合わせ焼香した。どの人も家族や親族を失っており、私たちと似たような境遇である。「うちでは見つかったけど、お宅ではまだなんでしょう」と、親しくしていた近所の方に声をかけられた。なんとも複雑な気分であった。この日はお寺や墓地で沢山の知人に再会したのだが、普段お会いできない方にも会えたし、「本を読んだよ」と声をかけてもらえることも嬉しかった。

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 さて。午後14時過ぎ。
病院の前には、沢山の人が集まり、テレビ中継車も2台停まっていた。女川町総合体育館では、合同慰霊祭が催されていた。私たちは車からダイニングテーブルを運び(逗子から持参した)、珈琲の豆を挽き、サイフォン用にお湯を沸かした。風が冷たく吹き付け、アルコールランプがなかなか着火しなかった。火力が弱いと珈琲が上部へ上っていかない。苦戦しているうちに、14:46のサイレンが町中に響き渡った。目を閉じようかと思っていると、姉が「黙祷するのはこの時間じゃない。あと30分経ったら拝もう」と言い出した。寒空の下、姉が言おうとしている意味は分かっていた。サイレンは1分間響き渡り、その間「地震の時もこのくらいうるさいサイレンが鳴ったら、津波に気付いてくれたのかもなぁ」と思ったりした。お互いに顔を見つめ合っているうちに、サイレンは静かに終わった。コーヒーはまだ沸点に達してなかった。

 14:55にコーヒーができ上がった。1年前のあの日、地震がなかったら同じようにコーヒーを煎れて、両親はお客さんに振る舞っていただろう。そしてなにげない日常を楽しんでいたに違いない。実家に置いてあったカップと同じ物を2つ、姉は用意してくれた。コーヒーを煎れる手つきは母とそっくりだった。
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 この写真は、そこにあった日常があの津波で一瞬にして奪われてしまったことへの反発、日常へのアンチテーゼのようなものだ。15:15ーーたぶん我が家を津波が襲ったのはこの時間帯だろう。コーヒーを献杯し、そっと手を合わせた。
by monchicamera | 2012-03-15 22:57 | 311とその後
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