女川町に英国人がやってきた

とあるひとりの英国人が女川へやってきた。

マイクさんとの関係は、2011年の6月に溯る。私のNYでの活動のドキュメンタリーをたまたま見ていた彼は、女川という町に釘付けになり、私の英語ブログを見つけ、連絡をくれた。震災後、イギリスでチャリティーライブを開催し、自作のCDを販売したり、その売上金を「女川で使って欲しい」ということで、私が集めていた募金へ寄付してくれたりと、常に女川への関心を寄せてくれていた。
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「女川へいつか行ってみたい」2年間ずーっと女川町のことを気にしていて、ついに、今日女川へ来たのである。

ロンドンから仙台へ、仙台から仙石線に乗り継ぎ、松島から代替えバスに乗り、津波被害の激しい野蒜海岸を移動し、石巻へ。そこからはディーゼル車の走る石巻線へ乗り、女川までやってきた。とても長い長い旅だったと思う。日本語が分からない彼にとっては大冒険だったに違いない。
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観光協会・遠藤琢磨さんの協力もあり、女川の隅々を案内することができた。手作りの「女川観光ガイド〜英語版〜」を片手に、女川のいまについて説明をした。

自分の家があった場所、16mの丘に建つ病院、私がいつも写真を撮っている熊野神社、横倒しになった交番、巨大な冷蔵庫施設のマスカー、115年分の瓦礫をたった1年半で処理をした瓦礫処理場などなど。女川でしか見れないものを案内した。津波被害のすごさも伝えると同時に、日本ならではの建築や合理的なシステムについても説明をしてあげたいと思った。

彼は女川についてのあらゆる報道(英語版)をネットで探し求め、色んな現状に付いて勉強済みだったことにとても驚いた。宿泊先であるエルファロは、建築制限があってトレーラーでホテルを営業しているということも知っていた。

私はマイクさんがこうして女川町へやってきてくれたことが何よりも嬉しい。

日本では、もはや東京ですら被災地に関心を示さなくなってきているし、ましてや海外では福島原発の報道しか流れていない。なのに、マイクさんはずっと「津波の町に住む人々はいまどうしているのか?」ということに関心を寄せ続けていて、こうしてはるばる女川町までやってきてくれたのだ。


夜。
女川の仲間達を呼んで、刺身や焼き鳥を食べながら、ビールを一緒に飲んだ。マイクさんは嬉しそうに一緒にビールを飲んでくれた。「地図で女川を見ると、ただの点でしかない町だと思っていたが、実際に来てみると、これほどの狭い土地に人々はエネルギッシュに暮らしていて、丘の上でバーを再開していたり、笑顔で集まる人々の顔を見て嬉しくなった。女川に来て本当によかった」と言ってくれた。
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私はその言葉が何よりもうれしい。
百聞は一見にしかず。
ネット時代であるからこそ、実際にこの目で見て感じることは、とても意味がある。

マイクさん、女川に来てくれてありがとう。そしてあなたのイギリスで、小さなこの町のことを伝え続けてください。それが女川の復興の後押しになります。
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by monchicamera | 2013-04-15 09:26 | 311とその後
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