カテゴリ:311とその後( 131 )

【写真展と講演会のお知らせ】

【写真展と講演会のお知らせ】

■写真展「親子の絆」
2014年3月10日〜16日
新潟日報メディアシップ1階 新潟日報情報館COMPASSにて 入場無料

■基調講演「女川の町と人の姿を見つめていく」
2014年3月11日(火)13:00〜
新潟市にある新潟日報メディアシップにて
入場無料ですので、ぜひお越しください(お申し込みが必要です)
http://www.niigata-nippo.co.jp/life/event/seminar/20140217095616.html

新潟にお知り合いがいらっしゃれば、お知らせいただけると幸いです。
よろしくお願いします。
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写真展「親子の絆」について
 
 震災から3度目の冬を迎えた女川町の親子を撮影しました。なぜ親子か?というと、そこに魅力を感じるからです。特に自分が果たせなかったからかもしれません。同世代の仲間たちに気持ちを投影している部分もありますし、彼らを応援したいというエールを写真の中に込めています。
 親から子へ、子から孫へと仕事や伝統が受け継がれていくことが、その町の歴史を形成していくと私は考えます。
 震災から3年を迎える町の様子を背景に取り入れ、親子を素の姿を撮影したいと思いました。これらの写真が、未来へ子供たちへ残す、町の記録となることを願っています。
by monchicamera | 2014-02-25 23:41 | 311とその後

1/15 TBCラジオに出演します

1/15(水)仙台を拠点とするTBC東北放送ラジオのCOLORSという番組にて、電話インタビュー出演する予定です。ラジオ番組は午前9:00〜12:00です。

話の内容は、私が父から引き継いで制作をしている女川高校の卒業アルバムについてです。女川高校は3月に3学年が卒業すると閉校します。学校のラストを飾る卒業アルバムに込める想い、父から引き継いだ仕事への感想などを語らせていただきます。宮城県内の方、どうぞお聞きくださいね♪

TBC東北放送ラジオ
http://www.tbc-sendai.co.jp/02radio/colors/index.html
by monchicamera | 2014-01-12 20:34 | 311とその後

おながわ散歩

私の故郷である宮城県女川町の近況は、「おながわ散歩」というサイトで紹介しております。女川町の旬のグルメ情報、観光情報、近況などを、”散歩目線で”紹介しています。女川を離れてしまった方がこのサイトを通じていつでも故郷の様子を見たり、また女川町へ来てみたいと思った方に役立つ情報を……という思いから始めました。不定期更新ですが、温かく見守っていただければと思います。

おながわ散歩ブログ
http://onasanpo.exblog.jp/

おながわ散歩Facebook
http://www.facebook.com/onagawasanpo

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by monchicamera | 2013-08-30 09:26 | 311とその後

あの日の入学式

女川高校は本年度の3月に、3年生47名が卒業すると廃校となります。過疎化が進む地方ならではの悩みです。

父が長年アルバムを作ってきた学校で、震災の翌年から引き継いでいます。今の時期はアルバムに使用する写真のセレクトをしたり、レイアウトを考えたりしています。2年前の入学式の写真を見ていたら、心がキューっと痛くなりました。

2011年4月21日。例年よりもちょっと遅れた入学式を迎えました。体育館も校舎も地震でボロボロでしたし、制服が用意できなかった生徒もいました。そんな中で校長先生や前教育長は「震災後の女川や石巻を担う大人になれるよう、たくさんのことを学んで欲しい」と祝辞を述べていました。
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あれから2年4ヶ月が過ぎました。私は逗子にいると日常生活が待っています。女川へ帰れば「未来への希望」と「被災地の現実」の間で心が揺れます。その中で自分の撮った写真を眺めていると、その時の空気を思い出します。不安を思い出すこともあるけど、その中に輝いている若者達をみると、がんばろうという気になったりもします。

1つ言えることは、最後の卒業生のために、最高の卒業アルバムをつくってやろう!ということです。がんばります。

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by monchicamera | 2013-07-16 19:47 | 311とその後

祝・金華山航路 再開

離島・金華山と女川港を結ぶ航路が2013年5月3日に再開されました。 実に2年2カ月ぶりです。出航を記念して女川町の観光桟橋ではセレモニーが行われました。

金華山は、12年に一度の「巳(み)年御縁年大祭」が開催されています。ゴールデンウィーク中は毎日運行していましたが、現在は土日のみらしいです。詳しくは、潮プランニングさんまでお問い合わせ下さい。
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さてさて。セレモニー当日のレポートです。
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女川港をバックに轟会の潮騒太鼓が鳴り響き、ホタテの炭火焼が振る舞われました。

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記念すべき第一便9:00の乗船客62名は、まず「希望の鐘」をならしてから乗船。ゴールデンウィークということもあり、親子連れや年配の方が多かったです。復幸男が記念品である高政さんのかまぼこを手渡ししていました。

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スプレーアートのD-BONSくん(女川在住、アートギルド)の作品。金華山の守り神である弁天様と巳が描かれています。彼の絵もどんどん上手になってきましたね。これから世界へ向けて育ってほしいアーティストの1人です。

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船に結びつけた紙テープが華やかに青空に舞いました。この紙テープを使った見送りは、昔から女川港でよく行われていた風景で、昭和の懐かしい思い出が甦ってきました。カラフルな大漁旗に見送られ、第一便の「ベガ」は出発していきました。
by monchicamera | 2013-05-09 20:27 | 311とその後

熊野神社例大祭2013

ゴールデンウィーク中は、女川町の至る所で例大祭が行われます。5月3日、鷲神(わしのかみ)地区にある熊野神社の例大祭を追いかけてみました。 この地区は祭りの担い手となる世代が少なくなってしまい、北海­道や三重県、愛媛県など全国各地から約100名の方が、お祭りを手伝ってくださいました。昨年の土砂降りと打って変わって、心地よい薫風の中で催事が行われました。
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私の家があったところも、いつものように神輿が通って行きました。
子供の頃は当たり前だと思っていたのに、今となってはとても懐かしく、そして特別に感じますね。

お休みしたのは震災があった2011年だけでした。昨年は全国から100名もの方が土砂降りの中、お手伝いに来てくださいました。今年もたくさんの方の支えがあって、催事が実現しました。神輿が通って
行くまわりの風景こそ変わってしまいましたが、「いつものようにお祭りができる」って素晴らしいですね。

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氏子の皆さんは、私が子供の頃からお世話になっている方々。「あー、おじちゃん、元気だった?」いつものように気軽に声をかけてもらえるのが嬉しいですね。小さな町の小さな伝統行事。大事にして行かなくては…と思った一日でした。
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by monchicamera | 2013-05-08 22:53 | 311とその後

おかせい CM

C&C石巻蛇田バイパスにある「おかせい」が4/27にオープンしたので行ってみました。

社長と専務を記念にパチリ。親子ツーショットは約二年ぶり。後ろのパネルは、2011年7月2日すなわち津波後に三ヶ月が経って女川魚市場が再開した翌日に撮ったものです。
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店内では、岡清スタッフが威勢のよい掛け声でお客さんと会話していました。このフレンドリーさが良いんですよね。

テレビモニターを三台設置し、20年前のお店映像を盛り込んだ岡清の歴史ビデオが流れています。女川魚市場横に店舗があった時代を知るお客さんも多く、懐かしがって見てくださる方もいました。いつまでも、お客さんに愛される魚屋であってほしいですね。
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店内で流れている「おかせいCM」はこちらです(制作:Y's Kitchen 鈴木佑介)

by monchicamera | 2013-05-07 17:14 | 311とその後

おかせい 石巻C&C蛇田バイパス店 オープン

女川町の誇る魚屋「おかせい」さん。石巻C&C蛇田バイパス店が4/27(土)よりオープンしました。お店に彩りを添える壁一面のパネル写真を担当させていただきました。

市場やホタテの写真は、女川の漁業の復興を願ってシャッターを切りました。こうしたひとつひとつが実を結び、栄えていくことを願います。
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by monchicamera | 2013-04-27 20:46 | 311とその後

女川町 江島(えのしま)

イギリスからやってきたマイクさん。
2泊3日で女川町を満喫しました(マイクさんが女川へ来るきっかけは前の投稿で書いた通り)。

2日目は、女川町の離島である「江島(えのしま)」を訪ねた。巡航船「しまなぎ」に乗って30分。私も生まれて初めて訪れた。ひとことで言うと「ファンタスティックな島」である。まるで海外旅行に来たような、ワクワクする感覚がこの島にはあった。

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江島は外洋に囲まれていて、地図上で見ても分かる通り、ぽつんと点在する島である。近郊の無人島も含め、ウミネコの繁殖地としても有名で、島が近づくとウミネコがわーっと船を囲み、私たちを歓迎してくれているかのようだった。

船を降りると、船着き場で(そこは海外でいうところの「広場」の役目も果たしている)島の人々が、春が旬であるワカメの作業をしていた。昔ながらの手作業で、葉の部分と茎の部分に分けたり、大釜で茹でたり、また男性たちは採ってきたばかりのワカメを船から上げたりしていた。

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津波被害を逃れた23世帯(巡航船のおじさんに聞いた数字なので不確定)が、今も島で暮らしている。水道が復旧したのは震災から1年が経過してからだったそうだ。郵便局があった高さの家は残念ながら土台だけになってしまっていた。そこよりも高い場所に位置する神社やお寺は無事だったようだ。おおよその津波の高さが推測できたが、実際の被害はどれほどだったのか正確にはわからない。重機などを運ぶにしても離島であるから、震災からの復旧はとても困難だっただろうと推測する。

だが2年経ったこの時期に、ワカメ作業に精を出す江島の人々の営みにとても感激した。昔から続く「島らしい暮らし」がそこにずっと存在しているのだと感じた。
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江島は崖にへばりつくように経っている家々を階段が結んでいる面白い地形である。階段を辿るとどこかの家にたどり着き、右へ進んだかと思えば、合流し、左側の家に到着する。まるで迷路のような通りであるが、どの道を通っても港へ出るようになっている。そこが面白い。島の隅々を歩いてもざっと2時間くらいの小さな島である。80歳を超えたおばあちゃんの足腰が丈夫なのも、この地形のおかげといえる。

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この光景は、英国人のマイクさんの目にはどう映ったのだろうか。
ワカメ作業をしているある女性が英語で話しかけてきた。彼女は息子さんがスイス留学をしていて、4ヶ月前に息子さんとイングランドを訪ね、車でぐるっと旅行をしたそうである。思いがけない英国人の訪問をとても歓迎してくれた。

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マイクさんにとっては、日本の田舎を見ることも稀だろうし、一人では訪れることは難しかっただろう。瓦屋根の建築を美しいと感じ、旬のワカメ作業を見学したりと、貴重な体験になったであろう。

女川港へ戻ってくると、前日に案内してくれた女川町観光協会の遠藤琢磨さんが港で迎えてくれた。こうした女川流のおもてなしに、マイクさんはとても喜んでくれた。
by monchicamera | 2013-04-16 18:33 | 311とその後

女川町に英国人がやってきた

とあるひとりの英国人が女川へやってきた。

マイクさんとの関係は、2011年の6月に溯る。私のNYでの活動のドキュメンタリーをたまたま見ていた彼は、女川という町に釘付けになり、私の英語ブログを見つけ、連絡をくれた。震災後、イギリスでチャリティーライブを開催し、自作のCDを販売したり、その売上金を「女川で使って欲しい」ということで、私が集めていた募金へ寄付してくれたりと、常に女川への関心を寄せてくれていた。
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「女川へいつか行ってみたい」2年間ずーっと女川町のことを気にしていて、ついに、今日女川へ来たのである。

ロンドンから仙台へ、仙台から仙石線に乗り継ぎ、松島から代替えバスに乗り、津波被害の激しい野蒜海岸を移動し、石巻へ。そこからはディーゼル車の走る石巻線へ乗り、女川までやってきた。とても長い長い旅だったと思う。日本語が分からない彼にとっては大冒険だったに違いない。
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観光協会・遠藤琢磨さんの協力もあり、女川の隅々を案内することができた。手作りの「女川観光ガイド〜英語版〜」を片手に、女川のいまについて説明をした。

自分の家があった場所、16mの丘に建つ病院、私がいつも写真を撮っている熊野神社、横倒しになった交番、巨大な冷蔵庫施設のマスカー、115年分の瓦礫をたった1年半で処理をした瓦礫処理場などなど。女川でしか見れないものを案内した。津波被害のすごさも伝えると同時に、日本ならではの建築や合理的なシステムについても説明をしてあげたいと思った。

彼は女川についてのあらゆる報道(英語版)をネットで探し求め、色んな現状に付いて勉強済みだったことにとても驚いた。宿泊先であるエルファロは、建築制限があってトレーラーでホテルを営業しているということも知っていた。

私はマイクさんがこうして女川町へやってきてくれたことが何よりも嬉しい。

日本では、もはや東京ですら被災地に関心を示さなくなってきているし、ましてや海外では福島原発の報道しか流れていない。なのに、マイクさんはずっと「津波の町に住む人々はいまどうしているのか?」ということに関心を寄せ続けていて、こうしてはるばる女川町までやってきてくれたのだ。


夜。
女川の仲間達を呼んで、刺身や焼き鳥を食べながら、ビールを一緒に飲んだ。マイクさんは嬉しそうに一緒にビールを飲んでくれた。「地図で女川を見ると、ただの点でしかない町だと思っていたが、実際に来てみると、これほどの狭い土地に人々はエネルギッシュに暮らしていて、丘の上でバーを再開していたり、笑顔で集まる人々の顔を見て嬉しくなった。女川に来て本当によかった」と言ってくれた。
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私はその言葉が何よりもうれしい。
百聞は一見にしかず。
ネット時代であるからこそ、実際にこの目で見て感じることは、とても意味がある。

マイクさん、女川に来てくれてありがとう。そしてあなたのイギリスで、小さなこの町のことを伝え続けてください。それが女川の復興の後押しになります。
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by monchicamera | 2013-04-15 09:26 | 311とその後