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女川にプロレスがやってきた!

【女川にプロレスがやってきた!】
10月22日(日)女川町総合体育館にプロレスがやってきたのだ。
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女川町商工会青年部のお手伝いとして、夫婦で「記録係」として参加してきた。写真と映像という私たちのコンビが、青年部のお手伝いができるという機会はあまりなく、しかも旦那が大好きなプロレスとくればこんなラッキーなお仕事はない。私にとっては人生で初めて見るプロレス、迫力があって面白かった。そして集まった町民のみなさん(意外にもジジババが多かったです!)が、すっごく楽しんでいる様子だったので、私もうれしくなった。
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朝8:30から準備をして、体育館にシートを貼り、椅子1200個を並べ、リングを作る……。若手レスラーもプロレス関係者も、そして女川サイドのスタッフも一丸となって、このイベントを作っている様子に感動した。準備も早かったが、試合後の撤収も素早っかった。これは女川の団結力!商工会の職員の皆さん、青年部の皆さん、加工研の皆さん、金曜会の皆さん、福幸丸の皆さん、その他ボランティアの皆さん。すばらしい仕事っぷりでした。

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蝶野選手と試合前にお話させていただいたが、強面な外見とは違って紳士な方だった。女川に来るために色々なことを調べ、試合の前には、清水の瓦礫置き場なども見学したり、これからかさ上げする海岸を偵察したり、被災地のかかえる問題をきちんと自分の目で見て、女川を感じてくれていたのだ。記念に私の写文集を差し上げたら、とても喜んでくださった。また女川に来て欲しいですね♪
by monchicamera | 2012-10-22 23:59 | 311とその後

神戸にて

修学旅行で神戸に来ています。今年はアシックスが女川の小学六年生全員を3泊4日の旅に招待してくださいました。ありがたいです。

午前中はアシックスの研究所で、一流選手がするのと同じように足のサイズを計測したり、オリンピックとおなじような計測器でスポーツテストをしたり、普通なら体験できないことを子供たちはさせていただきました。

午後はミニチュアシューズを作成しました。オニヅカタイガーのモデルと同じ構造で、生地はロンドンオリンピックに出場した選手の靴を制作したときの余りだそうで、なんとも貴重なミニチュアが出来ましたよ〜。
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子供たちも大満足な一日でした。私が同行していて一番嬉しかったのは、子供たちがどんな時でも、スタッフ1人1人に大きな声で「ありがとうございます」と挨拶してたことです。しかもみんなが自発的に。アシックスの施設を出入りするとき、バスの乗り降りのときも運転手さんガイドさんにも挨拶し、食堂のおばちゃんたちにも!

さすが女川の子供たちだ!と思いました。誇れる後輩たちですね。
by monchicamera | 2012-09-19 22:11 | 311とその後

人間力 〜「いろどり」立木写真館から学ぶ〜

先日女川へ、徳島の立木写真館の立木さとみさん来てくださった。さとみさんは代々続く写真館の5代目であり、先代たちがそうしてきたように徳島の地域の方々と深く関わっている(ここで少し立木写真館について触れておくと、1980年にNHK朝ドラ『なっちゃんの写真館』のモデルとなったといえば、わかる方も多いだろう)

その5代目である さとみさんを中心に立木写真館のスタッフ達は、「葉っぱビジネス」を始めた農村のおばあちゃんたちに寄り添いながら取材撮影を重ねてきた。それが2006年、写真集「いろどり」となった。写真館が自費出版する例は珍しく、しかも初版一万部完売となったそうだ(現在は第二版が発売されています)。この撮影はおばあちゃんたちの励みにもなったであろう。そして何よりも地域の方が喜んだに違いない。このような形で写真館が地域において貢献できることは、とてもステキなことだと思う。

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立木写真館といえば、写真家の立木義浩さんの作品「親と子の情景」シリーズは、私の好きな写真集の1つだ。義浩さんはさとみさんの叔父にあたる方である。人物に対しての取材の仕方、撮影の仕方、特に被写体との距離感がとても素晴らしい。写真を見ているとまるでそこに楽しげな会話が聞こえてくるような感じがする。

この感覚が写真集「いろどり」にも存在するのである。おばあちゃん達との会話が聞こえてくる様な、そんなポートレートが心地よい。実際にさとみさんにお会いしてみて感じたのだが、彼女の寛容な人柄、そして相手の魅力を引き出す力、洞察力などがとても優れている方なのだ。「いろどり」を見ていると、またしても「彼女にしか作れない写真集」なのだと気がつく。立木写真館の技術なのだろうか、それとも立木家に伝わる伝統的な会話術みたいなものがあるんだろうか…。これはきっと写真館ならではの「人間力」なのだろうと思う。地域に根ざしてこその人間力。女川の復興のヒントになると感じた(そのさとみさんが、私の本をわざわざ女川商店街で購入してくださった!とても嬉しい♥下の写真は図々しくサインする私である、笑)

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この「葉っぱビジネス」のお話は、映画化される事になった。ちょうど、9/15(土)から全国で上映している。みなさんもどこかで聞いたことがあるかもしれない。料亭などの日本料理に彩りを添える「つまもの」を、70〜80代のおばあちゃんたちが売ってみよう!と商売を思いつき、2億5千万円も売り上げるようになったというストーリー。失礼な話だが、人口2,000人の田舎町にこんなビックビジネスチャンスが到来するとは……、ほんとに夢の様な話であり、田舎に活気を取り戻す(しかも自分たちの手で得た幸せなのだ!)ということに感動する。これこそが「人間力」であると私は思う。

映画の方も、ぜひ見ていただきたい。

映画『人生、いろどり』公式サイト
http://www.irodori-movie.jp/
by monchicamera | 2012-09-17 17:33 | 311とその後

女川を案内する

先週はポートレート・アカデミー・オブ・ジャパン(PAJ、旧「印画紙研究会」)で松島へ行っていた。日本有数の、ポートレートに長けている写真館やフォトグラファーが集まる会で、60分の講演をさせていただいた。通常は学会のような形式で発表があったりするらしいが、東京ではなく地方で開催(しかも被災地である松島での開催)ということもあり、「震災からこれからの写真館像」というテーマで話をさせていただいた。今回集まっている会員は写真館の仕事を良い意味で逸脱している方が多く、私がテーマとしている「地域との関わりを大切にしたい」「ポートレートの文化を日本に広めたい」という点において、共通した見解をお持ちの方が多いと感じる、有意義な時間だった。

2日間の会合の後、「女川へ行ってみたい」という方々を引き連れ女川へ向かった。メンバーは徳島、香川、新潟、茨城、東京、仙台……と全国さまざま。松島から、野蒜駅、石巻港、門脇小学校、渡波と進み、女川へ。まだ津波の痕跡が残る場所をわざわざ探すようにして進んだ。

まずは我が家の跡地へ。このうちの2人は震災直後に女川へ来たというが、すっかりなくなってしまった跡地に立ち、呆然としていた。ちょうどその足元に、偶然にもお客さん用の緑色の湯のみが1つ、砂利に混じって顔を出していた。両親ともに歓迎してくれていたのだろうか。見覚えのある湯のみを見つめ、ゆっくりと、あの日のことを話した。

その後は、女川にある、日本一頑張ってる蒲鉾屋に案内し、世界一美味い焼肉屋に連れて行った。ただそれだけ。観光という名にはまだふさわしい町にはなっていないが、誇れるものは沢山ある。見て感じてもらうことはたくさんある。しかも四国の方が2人いたので、特に津波のことを伝えておきたかった。この町を20mの波が飲みこんだこと、そしてその中で生きて行く覚悟をもって頑張っている人たちに会ってもらいたかった。

今回来た写真家のみなさんは、「女川が好き」「また来たい」と言ってくださった。その言葉がまた女川を強くしてくれるんだと嬉しくなった。

女川に来てくれてありがとう!
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by monchicamera | 2012-09-12 21:47 | 311とその後

女川の小学校にて水泳大会

先週は女川の小学校3校合同で水泳大会がありました。主に4年生以上の記録会ですが、天気にも恵まれ最高の水泳日和でした。水泳が得意な子も、そうでない子も、自分ができる範囲でチャレンジする姿勢があり、とても好感が持てました。そして何よりも良かったのが、参加した全員が応援をしていたことです。先生が指示をしたわけでもなく、どの生徒も自ら大きな声で仲間が泳ぐ時にエールを送っていたのです。

昨年の水泳大会も撮影に伺いましたが、やはり自主的に大きな声で応援していました。6年生がやり始めると、下の学年も自然と同じように応援を始める……。素晴らしい習慣だと思いました。

最近の教育方針を見ていると全国的に「優劣をつけない」「順位をつけない」という学校も見受けられますが、私は多いに競ってほしいと思います。勝つ喜びもあるし、負けたときの悔しさもある。そして仲間を応援するという楽しみもある。そして自分が応援してもらったときに、どれだけがんばれるか。そこに気付いたとき、初めて「友達っていいなぁ」と思うでしょう。

そんなことを思いながら撮影していました。こうして女川の夏は終わりを告げるのでした。
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by monchicamera | 2012-09-10 23:13 | 311とその後

【GAMA ROCK FES 2012】のお知らせ

9月22日(土)、宮城県塩竈市で「GAMA ROCK FES 2012」がもうすぐ開催されます。塩竈も津波から立ち上がり、こうして市民の手で音楽イベントができるようになりました。この企画主、実は写真家の平間至さんなんです。

平間至さんは日本屈指の売れっ子フォトグラファーであり、塩竈の出身で、私の大学の先輩でもあります。私が大学生の時、平間さんの写真集「MOTER DRIVE」や、タワーレコードのポスターを見て(NO MUSIC ,NO LIFEシリーズを知らない人はいないでしょう!?)「こんな写真家になりてぇぇぇ〜」と夢見ていました。幸いにも、父どうしが友人だったこともあり、学生の私は、平間さんの事務所に遊びに行ったり、仲よくさせていただきました。

彼は10年ほど前から、地元塩竈の街おこし活動をずーっとやってきていました。写真展から始まって、地元の人を撮り始め、写真フェスティバルも開催してきました。それは彼にしかできない活動であったと思います。写真家として、塩竈出身者として…「地域のために何ができるか」ということを、震災前からずっとやっておられるのです。そういう生き方がカッコいいなと思います。

前置きが長くなりましたが、2週間後に迫ったGAMA ROCKは、平間さんのこうした想いが詰まっています。ぜひお近くの方、ロックに興味がある方、塩竈へ来てください。
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by monchicamera | 2012-09-09 23:52 | 311とその後

誕生日の思い出

今日は私の35回目の誕生日だ。
「おめでとう」というのは決まり文句なのだろうが、私自身はあまり好きではない。特にネットが普及した今、それほど仲が良くない人(または全く知らない人)からおめでとうメッセージを掲示板に書き込まれるのだけは、毎年ながら好きになれない。とても事務的すぎる気がする。

プレゼントをもらうのも苦手である。相手の誕生日を覚えてないのに自分の番だけプレゼントをもらうと申し訳ない気分になってしまう。女川では何かいただくとお礼をしなくてはならないという暗黙のルールがある。お礼を忘れてしまうくらいなら、最初から受け取りたくないと思ってしまうからなのかもしれない。

なんとも否定的な書き出しの文章になってしまったが、誕生日に恨みがあるわけではないのでここからは笑って読んで欲しい。


誕生日こそ母親に「産んでくれてありがとう」と言える日にしたいと思うようになったのは何歳ごろだっただろう。仙台に住んでいた頃だったと思うが、突然アパートへFAXが届いた。母からだった。

「あなたが30歳になるなんて、思ってもみませんでした。一体わたしはいくつになったのか…と振り返りました。特別なお祝いはしてあげれませんが、一人前に稼げるようになったあなたがわたしの自慢です」と書いてあった。30歳というキリのいい年だったからであろうか、誕生日にFAXで届いたのはこれが最初で最後だった。

その週末は、お礼に両親に手料理をふるまいたかったので、食材やワイン、オーブンまで持参して女川に帰った。自分の稼ぎで、そして得意の料理でもてなしたかったのだ。母はとっても喜んでくれた。
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海外旅行へ行ってみたいという母を一度だけ連れて行こうと思った事がある。ようやくお金を貯め、父も誘って3人で行く準備ができた。が、直前で母が脳梗塞になってしまい、旅行はキャンセルになった。2009年12月のことだった。幸い症状は軽かったが、海外旅行をする気はすっかり失せてしまったようで、結局それっきりになってしまった。

物事にはタイミングがある。自分の思い込みや押しつけではいけないと思うが、その時を逃すと「ありがとう」が伝わらなくなってしまう。後悔とは「後で悔やむ」と書くが、感謝を伝えたい思った時はその瞬間が良い。母とは意見がぶつかり合うことが多かったが、「ありがとう」という気持ちはその都度きちんと伝えてきたつもりだ。だから自分の中に悔いはない。今年もそっと手を合わせることにしよう。おかあさんありがとう。
by monchicamera | 2012-08-21 04:04 | 311とその後

おかえりなさい その2

8月13日。日没後、迎え火のイベントに参加した。
近所の方も、自分の家あった場所で各々やっていたようだ。火をおこし、魂が帰ってくることをただじっと祈る家族もいれば、ビールを片手に楽しそうに会話をする家族もいた。ここに集まる町民はみんな我が家を失ったのだ。その場所でそれぞれの思いに耽り、それぞれの時間を過ごす。全国から多くのボランティアが来てくれ、交通誘導や火の炊き方などを教えてくださり、とてもありがたかった。出店なども用意されており、個人的にはもっとひっそりと行いたいなあと感じた夜だったが、父の霊が帰ってくることを想定すると沢山の人々と再会できるようなシュチュエーションは悪くないのかもしれない。
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そして天を仰ぐと星が美しくに瞬いていた。家々がなくなったから夜空が一段ときれいなのだ。姪が夏の大三角形を私に教えてくれた。2001年の獅子座流星群のあたり年の時、母とふたりでマリンパルの駐車場で星を眺めたことを思い出した。視力がよくない私は流れ星を1つも見ることができなかったが、星が流れる度に無邪気にはしゃぐ母の姿だけは覚えている。そんな話を姪に聞かせると、そーっと海風が頬を駆け抜けた。母が帰ってきた瞬間だったのかもしれないなと思った。
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by monchicamera | 2012-08-15 12:43 | 311とその後

おかえりなさい

8月13日、お盆入り。
姪と甥を連れて女川へ。熊野神社に登った。
200段ある階段を「懐かしいなあ。じぃを思い出すなぁ」と言って登る小5の姪と、「僕はここに来るの初めてだよね?」と全く記憶のない小2の甥。まぁ人間の記憶ってそんなもんです(笑)
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2006年に父が見た景色と大きく変わったが、彼らの心の目にはどのように映るのだろう?潮の香りを感じながら「女川のにおいがする」と姪は言った。
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by monchicamera | 2012-08-15 12:22 | 311とその後

お盆の準備

 お盆や正月の帰省ラッシュはイヤだなぁと思い、震災前まではこの時期に女川へ帰ったことはなかった。今年初めて8月13日に帰省する。女川でお盆を迎えるのは何年ぶりだろう。お盆の過ごし方は、その地方の習わしがあったりする。女川では仏壇がある家ならどの家でも、装飾を凝らし(正月も豪華なのだが、お盆は美しく涼しげに飾る)、家のドアを開けておく風習がある。これはご近所や知り合いの家にお線香を上げに来るお客様のためだ(自分がお線香をあげに行くことも必須)。お正月と違ってお年玉こそもらえないが、人の出入りが多くなるこの時期、スイカやメロンは常に用意されているから、子供ながらに楽しみだった。

実家こそなくなったが、家族の霊を迎えるために今年は女川で過ごそうと決めた。ありがたいことに、ご近所だった岡兄さん(写文集p180参照)が中心となって「迎え火」を予定している。鷲神地区が対象だというので参加することにした。

実は私にとっては初めての体験だ。我が家ではどういう訳か迎え火をしたことがなかった(送り火もしたことがない)父も母も省略していたのか、それとも女川にそういう風習がなかったのか、定かではない。小舟をこしらえ火を灯して海や川に流すという行事を、女川のとある浜では行うらしいのだが(この形式は他の漁村でも残っている儀式だ)、家のまわり(商業地区)では見たことがなかった。これを機に、毎年お盆に迎え火をし、先祖に手を合わせるという習慣をつくることは良いことだと思う。近所どうしが集まり、親睦を深めるためにも一役買うだろう。

今日は月命日である。まだ手がかりはない。両親が安心して女川に帰って来れるように、火を灯し、そっと手を合わせようと思う。

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by monchicamera | 2012-08-11 15:25 | 311とその後