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おかせい 石巻C&C蛇田バイパス店 オープン

女川町の誇る魚屋「おかせい」さん。石巻C&C蛇田バイパス店が4/27(土)よりオープンしました。お店に彩りを添える壁一面のパネル写真を担当させていただきました。

市場やホタテの写真は、女川の漁業の復興を願ってシャッターを切りました。こうしたひとつひとつが実を結び、栄えていくことを願います。
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by monchicamera | 2013-04-27 20:46 | 311とその後

もう1つのサイパン島

サイパンの別の景色を私はずっと忘れないでしょう。

みなさんは「バンザイクリフ」「スーサイドクリフ」という名前を聞いたことがあるでしょうか?サイパン島の最北端に位置し、太平洋戦争で「日本軍が自決した場所」として知られた所です。双方あわせて約1500人の命が亡くなったそうです。

私は場所の名前を聞いたことはありましたが、実際に行ってみるまでは、どんな場所か知りませんでした。最北端にあるということは、島の中で一番日本に近いということ。資料の多くは「日本軍が追いつめられて自決した」と書かれていますが、それだけだったのでしょうか? 私は「死ぬなら日本に近いところで死にたい」と思ったのではないか、という気がしてなりません。

太平洋戦争で亡くなった方の遺骨収拾をしている野口健さんの著書にも書いてありますが、頭蓋骨の向きや遺品の向きなどから「必ず日本の方角を向いて亡くなっている」ということが分かるそうです。

日本へ帰りたいという想いがどれほどだったのか、と思うと胸が苦しいです。
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白い棟が建っている写真が「バンザイクリフ」という岬です。そこには慰霊碑がたくさん建っています。私たちはまずここにお線香を携え、手を合わせてきました(新郎も旦那も、サイパンへ来ると必ず仕事の前にここを訪ね、手を合わせてからロケに向かうとのことでした)。

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もう一枚の車が映っている写真を見てください。
後ろにそびえ立つのは「スーサイドクリフ」という崖です。ここからも多くの日本兵が飛びこんで自決したと言われています。それを目の当たりにした米兵たちは「日本には敵わない…」と精神的ショックを受けたらしいとの話を聞きました。どちら側にもメリットのない戦争のむごさです。

澄みきった青空の下でこうして感じている間に、たくさんの観光客がバスから降りてきて、手を合わせることも無く、眺めの良い海で記念撮影をして、バスで帰っていきました。
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一方で、時を同じくして、中国・四川では大地震で苦しんでいる人がいたんですよね。また、海の向こうシリアでは、戦争で毎日たくさんの市民が犠牲となっているのも現実です。人間の命ってなんなのでしょうね。どんな想いで最後を迎えたのか、と思うと悔しいです。

私は戦争に対しての議論をする気は全くないですが、国籍も問わず、死に方も問わず、念が残っている死者に対して、せめて手を合わせたいということを思いました。

私にできることは、訪れた場所について、みなさんに写真や文章で伝えることしかできません。うまく言えないんですが、私がサイパンで感じた景色を少しでも知ってもらえたら…と思います。
by monchicamera | 2013-04-20 20:35 |

サイパン・ウェディング

サイパンは暑くて、湿度も高くて、一日中ロケをしてると体力が消耗しますね。
ロケ当日は、絵に書いたような青空に恵まれました。太陽がギラギラと照りつける海は、まさに南国の海の色でした。西側に位置したビーチでは、夕陽もキレイでロマンチックなシチュエーションでした。
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サイパンにゆかりのある新郎が「お嫁ちゃんに見せたい景色」ということで、サイパンのおすすめスポットを色々とまわりました。砂浜ではなく全て珊瑚になっているビーチとかとっても綺麗だったし、新郎が働いていたオフィスの庭を借りて撮影をしたり……。とっても楽しいロケになりました。
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彼らの幸せをずーっと応援したいと思います。
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by monchicamera | 2013-04-20 20:34 |

女川町 江島(えのしま)

イギリスからやってきたマイクさん。
2泊3日で女川町を満喫しました(マイクさんが女川へ来るきっかけは前の投稿で書いた通り)。

2日目は、女川町の離島である「江島(えのしま)」を訪ねた。巡航船「しまなぎ」に乗って30分。私も生まれて初めて訪れた。ひとことで言うと「ファンタスティックな島」である。まるで海外旅行に来たような、ワクワクする感覚がこの島にはあった。

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江島は外洋に囲まれていて、地図上で見ても分かる通り、ぽつんと点在する島である。近郊の無人島も含め、ウミネコの繁殖地としても有名で、島が近づくとウミネコがわーっと船を囲み、私たちを歓迎してくれているかのようだった。

船を降りると、船着き場で(そこは海外でいうところの「広場」の役目も果たしている)島の人々が、春が旬であるワカメの作業をしていた。昔ながらの手作業で、葉の部分と茎の部分に分けたり、大釜で茹でたり、また男性たちは採ってきたばかりのワカメを船から上げたりしていた。

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津波被害を逃れた23世帯(巡航船のおじさんに聞いた数字なので不確定)が、今も島で暮らしている。水道が復旧したのは震災から1年が経過してからだったそうだ。郵便局があった高さの家は残念ながら土台だけになってしまっていた。そこよりも高い場所に位置する神社やお寺は無事だったようだ。おおよその津波の高さが推測できたが、実際の被害はどれほどだったのか正確にはわからない。重機などを運ぶにしても離島であるから、震災からの復旧はとても困難だっただろうと推測する。

だが2年経ったこの時期に、ワカメ作業に精を出す江島の人々の営みにとても感激した。昔から続く「島らしい暮らし」がそこにずっと存在しているのだと感じた。
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江島は崖にへばりつくように経っている家々を階段が結んでいる面白い地形である。階段を辿るとどこかの家にたどり着き、右へ進んだかと思えば、合流し、左側の家に到着する。まるで迷路のような通りであるが、どの道を通っても港へ出るようになっている。そこが面白い。島の隅々を歩いてもざっと2時間くらいの小さな島である。80歳を超えたおばあちゃんの足腰が丈夫なのも、この地形のおかげといえる。

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この光景は、英国人のマイクさんの目にはどう映ったのだろうか。
ワカメ作業をしているある女性が英語で話しかけてきた。彼女は息子さんがスイス留学をしていて、4ヶ月前に息子さんとイングランドを訪ね、車でぐるっと旅行をしたそうである。思いがけない英国人の訪問をとても歓迎してくれた。

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マイクさんにとっては、日本の田舎を見ることも稀だろうし、一人では訪れることは難しかっただろう。瓦屋根の建築を美しいと感じ、旬のワカメ作業を見学したりと、貴重な体験になったであろう。

女川港へ戻ってくると、前日に案内してくれた女川町観光協会の遠藤琢磨さんが港で迎えてくれた。こうした女川流のおもてなしに、マイクさんはとても喜んでくれた。
by monchicamera | 2013-04-16 18:33 | 311とその後

女川町に英国人がやってきた

とあるひとりの英国人が女川へやってきた。

マイクさんとの関係は、2011年の6月に溯る。私のNYでの活動のドキュメンタリーをたまたま見ていた彼は、女川という町に釘付けになり、私の英語ブログを見つけ、連絡をくれた。震災後、イギリスでチャリティーライブを開催し、自作のCDを販売したり、その売上金を「女川で使って欲しい」ということで、私が集めていた募金へ寄付してくれたりと、常に女川への関心を寄せてくれていた。
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「女川へいつか行ってみたい」2年間ずーっと女川町のことを気にしていて、ついに、今日女川へ来たのである。

ロンドンから仙台へ、仙台から仙石線に乗り継ぎ、松島から代替えバスに乗り、津波被害の激しい野蒜海岸を移動し、石巻へ。そこからはディーゼル車の走る石巻線へ乗り、女川までやってきた。とても長い長い旅だったと思う。日本語が分からない彼にとっては大冒険だったに違いない。
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観光協会・遠藤琢磨さんの協力もあり、女川の隅々を案内することができた。手作りの「女川観光ガイド〜英語版〜」を片手に、女川のいまについて説明をした。

自分の家があった場所、16mの丘に建つ病院、私がいつも写真を撮っている熊野神社、横倒しになった交番、巨大な冷蔵庫施設のマスカー、115年分の瓦礫をたった1年半で処理をした瓦礫処理場などなど。女川でしか見れないものを案内した。津波被害のすごさも伝えると同時に、日本ならではの建築や合理的なシステムについても説明をしてあげたいと思った。

彼は女川についてのあらゆる報道(英語版)をネットで探し求め、色んな現状に付いて勉強済みだったことにとても驚いた。宿泊先であるエルファロは、建築制限があってトレーラーでホテルを営業しているということも知っていた。

私はマイクさんがこうして女川町へやってきてくれたことが何よりも嬉しい。

日本では、もはや東京ですら被災地に関心を示さなくなってきているし、ましてや海外では福島原発の報道しか流れていない。なのに、マイクさんはずっと「津波の町に住む人々はいまどうしているのか?」ということに関心を寄せ続けていて、こうしてはるばる女川町までやってきてくれたのだ。


夜。
女川の仲間達を呼んで、刺身や焼き鳥を食べながら、ビールを一緒に飲んだ。マイクさんは嬉しそうに一緒にビールを飲んでくれた。「地図で女川を見ると、ただの点でしかない町だと思っていたが、実際に来てみると、これほどの狭い土地に人々はエネルギッシュに暮らしていて、丘の上でバーを再開していたり、笑顔で集まる人々の顔を見て嬉しくなった。女川に来て本当によかった」と言ってくれた。
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私はその言葉が何よりもうれしい。
百聞は一見にしかず。
ネット時代であるからこそ、実際にこの目で見て感じることは、とても意味がある。

マイクさん、女川に来てくれてありがとう。そしてあなたのイギリスで、小さなこの町のことを伝え続けてください。それが女川の復興の後押しになります。
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by monchicamera | 2013-04-15 09:26 | 311とその後