女川の津波にあった方の体験談を紹介したいと思います。
彼女は地震直後、女川一中に逃げ込み、まさに九死に一生を得ました。 彼女の見た世界とは・・・。この文章を読んだとき、涙が止まりませんでした。 自分が通った中学校から見た景色が地獄絵だなんて想像がつきません。 辛いけど、生の声を聞いて、この津波と正面から向き合う事も必要だと思いました。 そして、私たちは津波の恐ろしさ、家族の大事さを伝えていかなければならないと思うんです。 忘れて欲しくないので、ここに転載させていただきます。 深呼吸をして、ゆっくり、読んでください。 ------------------------------------------------------------------------------ 『3月11日、女川町 』 松川真子(19)mixiネーム:海がみたい さんより ------------------------------------------------------------------------------ 私は女川町から 石巻市、涌谷町、美里町を通って仙台市まで避難してきました。 私一人の情報なので量は少ないですが、全て報告したいと思います。 まず先に・・・ 女川は、石浜、宮ヶ崎、大原、清水、鷲神は全壊と考えていいと思います。 旭ヶ丘は津波の被害はありません。 私は女川で地震にあいました。 地震後すぐに警報がなり、慌てて車で第一中学校まで祖母と避難しました。 その時点での大津波警報では、津波は3mということでした。 警報から15〜20分後、海面が上昇し始め、海岸から徐々に水が広がっていき、最終的には鉄砲水のような勢いで津波が押し寄せてきました。 バキバキという音と爆発音がなり続け、海水が女川町全体で渦を巻いていました。家も駅も生涯教育センターも、全部水の中で、姿もみえなくて、幼稚園があったはずの方向には海岸から流されてきた船があって、家がそのまま水に流されて浮いてた。みんな渦の中。津波は中学校の海側の坂の半分くらいまできていて、避難してそれを見つめていた人たちの肩には雪が積もってきていました。 ラジオなどでは10m程度などといっていますが、 実際にきた津波は30mちかくあったのではないかと思います。 逃げ遅れた方も多かったと思います。家の2階や、奥のほうに住んでいた方などは、安心しきっていたかもしれません。 全てがのみこまれていました。 津波が来ている最中も強い余震が続き、中学校のグラウンドも地割れがおき始めたため、総合体育館まで移動しました。 初めは体育館も窓ガラスが割れるなどの被害があったため閉鎖されており、小学生などは芝生の坂の上にテントをはり避難していました。 雪が強くなっていたので私は車の中で暖をとっていましたが、ガソリンがなくなりかけていたので体育館のほうへ向かいました。 私が向かったときにはすでに開放されており、入り口付近では掃除用具などを入れるロッカーを横に倒しそのなかで体育館にあったプラカードや椅子などを燃やし、火をおこしていました。 ケータイは圏外、電気もガスも水道もとまっていました。 自家発電で多少の明かりはありましたが、薄暗く、窓ガラスも割れているため冷たい風が室内にも吹いて、とても眠れる状況ではなく、毛布を持ち込んでいる人もいれば、私たちのように体ひとつで逃げてきた人たちも大勢いて、寒さでほとんどの人が眠れずにそれぞれが寄り添って被害状況の報告をし合っていました。 両親を探す人。 津波にのみ込まれ、泣く泣く親の手を放した女性。 妻が目の前で流されてしまった男性。 子供を失った人。 人が車ごとのみ込まれていくのを目の前でみてしまった人。 津波がひいた後、家族の死体を見つけた人。 様々な方がいました。 自分のことで精一杯で、目の前の「助けて」の声にも、こたえられないんです。 私も地震直後のまだ電波が届いていたときに母と弟とは連絡が取れていましたが、父とは連絡が取れず不安でたまりませんでした。 1日目は何も食べることが出来ませんでした。 一晩中余震が続いていました。 2日目、早朝に「玄関にお父さんが来ている!」と言われ、駆けつけると顔中傷だらけの父が立っていました。涙があふれました。 津波に遭遇しながらもなんとか逃げ切って隣の小学校で一夜を過ごし、私と祖母のために山を越えて体育館まで来てくれたそうです。 ほかに何人も他の避難所から体育館に次々と移動してきて、体育館は人があふれていました。 昼ごろに初めての配給があり、お椀に半分のスープを食べることが出来ました。具はほとんどありません。 昼間、父と津波が引いた後の町を見に行きました。 更地になっていました。そこら中瓦礫の山です。 自宅も会社もなくなっていました。というか、土台だけです。 アルバムに写真がアップしてあるので、見ていただければと思います。 夜になり、道の側溝の網を焚き火の上にかけて、そこで拾ってきた魚を焼いていました。 子供や老人が優先されていましたが、ほとんど早い者勝ちで、私は最後に運よく食べることが出来ましたが、食べられなかった方もいたと思います。 地震があってから、まともな食料をほとんど口にしていなかったので、本当に夢中で食いつきました。本当に涙が出そうでした。 避難所は悲惨でした。 町の生臭さと、人の息、煤のにおい。 もちろんトイレも仮設のもので、そのちかくで人がひしめき合っているんです。夜は足をのばすことも、寝返りをうつこともできません。家族と連絡が取れていない人がほとんどで、食べ物もなく、みんな苛立って。 女川を一通り歩いてきましたが、本当に酷い。 被害を受けたところは、もう跡形もありません。 その後、私と父はケータイの電波が届く地域まで避難することができ、そこで母たちと連絡を取り合って、祖母も迎えにいき家族5人全員で再会することが出来ました。 今は家族全員、仙台に避難しています。 居場所がある。毛布がある。寝るところがある。 これだけのことがこんなにも幸せなことなんだと実感しています。 仙台に避難してきた日、朝から何も食べておらず、 夜に暖かいお米を食べて、心から幸せだと思えました。 水が飲めるし、お米がたべられる、本当に幸せなことなんです。 しかし、仙台でさえ食べ物が不足しており、街中のひとが食料や水を求めてスーパーやコンビニに列をつくっています。 逃げようにも、ガソリンもありません。 流通も止まっているため、在庫がいつまでもつかも分かりません。 朝から食料集めで走り回っています。 仙台ではまだ電気も復旧せず、断水が続いている地域もありますが、 女川より、余程ましです。 困っているのは同じだし、同じように苦しんでいるのはあたりまえです。 被害の大きさで図るのは嫌だけど、だけどもっと酷い地域がある。 女川だけではありません。 もっと酷い地域があります。 人が沢山死んでいます。 飲み物も、食べ物もなくて、暖をとる手段もない。 助けの届かない孤立した地域です。 家族が誰一人欠けなかったこと、 私たちは本当に運がよかったんだと思います。奇跡です。 いま、暖かい寝場所があります。 食べ物も少量だけど何とか確保できています。 励ましのメールや電話が、本当に嬉しい。 本当に支えになっています。ありがとう。 みんなありがとう、心配してくれて。 もう言葉にできません。 宮城県民、とくに女川町の情報は私が知っている限りのことを伝えて生きたいと思います。 女川はいま、瓦礫の撤去作業も進められていて、女川の外に出ている人もいます。しかし、ほとんどの人はまだ体育館で生活していると思います。 メッセージください。 女川にいる家族のことでも親戚のことでも、知っている情報は全て差し上げます。 被災地の方、頑張りましょう。 いま、私たちには何もありません。 これからどうやって生活していけばいいかも分かりません。 すぐに助かる保障もありません。 先のことは何も見えないけれど、いま生きていることに感謝です。 そう考えて、いまは踏ん張るしかないんです。 家族との連絡が取れない方 被災地では、3ヶ月近くは連絡が取れないかもしれません。 だけど、絶対に無事な人もいます。 連絡がつかなくても、絶対にあきらめないでください。
by monchicamera
| 2011-03-16 16:57
| 311とその後
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