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私が感じた女川の惨状 3/28レポートその4

佐々木写真館は、奇跡的に暗室だけが残った。どうやらタイルみたいな材料は津波の圧力にも強いらしい。お風呂場のタイル壁も半分は残っていた。鉄骨はきちんとしていた。

店舗兼自宅は姉が1歳の時、つまり昭和47年に着工。
当時オイルショックで建築資材が不足していたのだが、「北海道からセラミック素材を特別に仕入れてもらって建てた」というのが父の自慢だった。
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西側に大きなガラスドアがある写真館の入口。中2階にスタジオ。1階の北〜東側に住居スペース。
建てた当時は真っ白な壁と赤い屋根が印象的な写真館だった。中村雅俊さんの歌に『白い写真館』というタイトル曲があるが、我が家がモデルだったとかいう噂。
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私が大学生くらいに(つまり13年位前)に、外壁を黄土色にした。理由は単なるリフォームのつもり(笑)白い外壁が汚れて古くさいから、汚れてもいい色を選んだと父が言っていたような記憶。

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こちらは暗室内部。セラミックで囲まれていた為に壊れなかった。引き延ばし器が3台ある。右側の電球が割れていないところを見ると、暗室の中での津波の動きがそれほど激しくなかったのか?押される波と引き波と交互に押し寄せたのに…。


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一番最初に発見したカメラ。これは父が昭和に使っていたものだと思う。NikonのFM2っぽく見えるが、それより前のモデルな気もする。

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次に見つけたのが、Mamiyaの67。これはここ5年くらい愛用していた。モノクロのフイルムを詰めて、同級生のポートレートなどを撮影していた。マガジンが斜めになったまま戻せない。泥を洗えばマガジンが戻るかもしれないが、どうやって洗おうかと検討中。ちなみに津波の泥は、塩分と重油が混じっているから、拭き取るだけではニオイが取れない。どうせ使えないカメラだから、思い切って水洗しちゃおうかな。これは形見として持ち帰った。


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拾ったカメラをウィンドウに飾った。もともとは店の1階スペースに、アンティークっぽく飾ってあったカメラの一部。ここを通った人が、「写真館で誰か来たんだな」とわかる合図にしようと思ってイタズラしてみた(笑)。ここに置いてあるカメラは父が実際使用していたものではないので、やはり飾り用として、元にあった場所に置いておくことにした。


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今回探した宝物。すべて向かいにあった焼肉幸楽さん跡地で拾った。距離で言うと10mも離れていない場所。意外と近くに残っていてビックリ。
父が大事にしていたブロンズ像。お師匠さんだった自由が丘の藤原写真館さんから譲っていただいた。顔やがっちりした体つきが母に似ているから、このブロンズ像が好きだったらしい。
白い絵皿は、母の宝物。母の故郷である秋田県羽後町西馬音内の盆踊りを描いたもの。淵ひとつかけてないのが不思議である。
その他に、ホースマンの折りたたみ式のシノゴ。これはたしかジェラルミンケースに入れてあったんだけどな。裸で落ちてました。


姉が3/16に行ったときと打って変わって、清々しい青空だった3/28。
道路もスッキリ片付いていたおかげもあると思う。女川への印象がまるで違うと言う姉。
両親の死は結果として受け入れようと決めたので、この日は「宝探し」をして姉妹で楽しんだ。
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そんなとき、板チョコを発見!
アルミホイルが全く破れてなかった。包みを破くと、チョコも無事。
だけどあのヘドロみたいな泥を想像すると、さすがに誰も食べない。
写真では目をつぶっているけど(私のミスだね)、姉の表情も前よりは和らいでいる。
by monchicamera | 2011-04-03 00:09
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