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茨城のある被災地で

4/28、茨城県高萩小学校へ行ってきました。
この学校は茨城県の北側、太平洋に面している自然豊かな学校です。
津波の被害はそれ程ではなかったものの、地震の被害が大きかった地域です。震災後、数日間電気や水道が使えず、子供たちは不安な日々を過ごしていました。今は目に見えない放射能 に怯えながら暮らしています。
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今回はあるプロジェクトで、被災地の子供に絵やメッセージを書いてもらい、それをニューヨークのギャラリーで発表することになりました。茨城県代表として、高萩小学校の4,5年生、106名が参加します。

最初に先生から私の紹介がありました。
「このお姉さんは、三陸の女川という町から来ました。家も流され、お父さんもお母さんもいなくなってしまいました。今日はみんなの様子を撮りに来ました。」
すると、いっせいに212の瞳が私を見つめます。
   ーーー 人が死に、家がなくなるってどんな事なんだろう?

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絵を書き始めると、子供たちはいきいきとしていました。
カラフルな色で描く子、筆ペンでメッセージを描く子。
力強く大きく描く子、細い細い線で「ささえ合い」と描く子。

みんな共通して感じたのは、「命」という言葉。

写真を撮っていると、何人かの女の子が寄って来ました。
静かに私の様子を伺い、じっーと目を見つめて、「ほんとに家がなくなっちゃったの?」と聞いてきます。聞きながら不安になったのでしょう。次にそっと腕を掴んで「親が直ぐに見つかるといいね」って言うんです。

その女の子たちは、私の力になりたいって思ったようでした。「私たちがついてるからお姉さんもがんばってね」そう言ってくれる子供もいました。

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そうして、撮影していると別の子供は「放射能のこと知ってる?自分の学校が安全かどうか知りたいの」と聞いてくるんです。
先生や親に聞きたくても、誰も放射能について知らないし、この街で暮らしていくということは、そういうリスクと向き合っていかなきゃならないんです。

私も、女川原発とともに暮らしてきました。この子供たちの置かれた状況が痛いほどわかります。

震災のストレス、原発のダブルパンチ。
この子供たちの未来を明るくしてあげたい。

この子供たちの写真は同じくニューヨークで展示し、世界に被災地のがんばって生きている様子を伝えます。そしてそれを日本に持ち帰り、被災地の子供たちに「世界とつながっている」ことを教え、
彼らの自信につなげていきたいと思ってます。微力ながらそういう活動で、私自身も立ち直っていけます。子供が私の腕を掴んでささやいてくれたように、私もそういう存在になりたい。
by monchicamera | 2011-05-01 00:20
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