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震災の爪痕は、見えない部分で深い

3月11日には本を出す予定で、年末はその原稿をずっと書いていた。写真集とエッセイという形の本になるが、文章を書くという作業は難しい。さすがに「作家」という職業があるくらいだと実感した。最も大変(というかイヤ)だった作業は「震災当時を思い出すこと」である。まだ1年も経っていないが、遠い別世界に迷い込んだようで、書くのも辛かったし、写真のセレクトをするのも手間取り、「よくこんな状況を人々は生き抜いたんだなぁ〜」と改めて思った。

この前も女川へ帰ったが、この10ヶ月の変化の仕方は大きい。瓦礫撤去だけが急いで実行され、心は置いてきぼりにされたような気がした。あれほどの惨事から立ち直るためには、見えない部分に気を配っていかなくてはならないのだと思う。

「ぜひ被災地に足を運んでほしい」とこのブログに書いたが、ツイッターで多くの方に支持していただいた。1つ書き忘れたのだが、被災地で見て感じるという以前に「手を合わせて欲しい」ということを強調すべきだった。私の中では「亡くなった方々に手を合わせる」ということが当たり前になっていたので、文章の中でついつい省いてしまったし、一般常識のある方ならそうするだろうと思い、安心して書かなかった部分はある。その件に関しては誰も責めたりはしなかったが、中には「被災地に観光気分で来て欲しくない」という現地の意見もあり、そういった気持ちを忘れないで欲しいと思った。

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私の友人・野口健さんが女川へ足を運んでくれた。その感想が彼のブログに書いてあった。他者が自分の家を撮影しているのって不思議な感じがする。山登りが好きだった父も、イケメンが好きな母もきっと友人の訪問を歓迎してくれたに違いない。

家が壊されてから、私はあまり家の前へ行っていない。行ってもしょうがないというか、何もないから行きたくないのである。8月に解体されたのだが、中途半端に門が残っていて、「あ、ここが写真館だったのだな」とかろうじて分かる雰囲気になってしまった(健さんのブログを見れば写真が載っているので、上の写真と比較してほしい)。暗室が残っていた頃は両親がまだそこにいるような気がしていたけど、更地になった後は、両親の気配を感じるどころか、やっぱり家で死んでしまったのだろうか…と考え込んでしまうこともある。やはり震災の爪痕は、見えない部分で深い。
by monchicamera | 2012-01-13 23:03 | 311とその後
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